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今週初め、おめでたい事と不幸な事が同時に起こった。 まずはおめでたい事。 (今週初めでは無く、先週末だが・・)NECグリーンロケッツが2連勝した!しかも2戦連続の被ノートライ勝利である。 開幕で三洋ワイルドナイツに完敗した事を知った時は、正直焦ったが、段々と調子を上げている ようだ。 そして今週初め。10/2(日)、僕の関東学院大時代の一学年下の後輩が学生時代から10年間の大恋愛を成就させ、ゴールインした。 彼の名前は多田憲一。学年は一学年下だが、顔は40代(笑)。かなり控え目にしても 35歳である。そう、ちょっと言い過ぎた(?)が、彼は年齢は僕の2つ上である。関東学院に 入学したのが、3年遅かっただけである。まあ、それはいいとして、学生時代はフルバックとして、そして気まぐれからかスクラムハーフまでこなしていた時期があり、センス抜群であった。 と同時に、「KGU(関東学院の略)のセレビ(=7人制ラグビーの神様。フィジー代表」と言われていたかどうかはわからないが、7人制のスペシャリストでもあった。 このように、才能溢れる彼であったが、不幸なことに、220人部員がいた中、たった一人と言っても過言ではなく、全部員で唯一英語が出来た大変貴重な人材であった。 そのせいで、NZ人コーチであった故バフ・ミルナーさんの通訳兼選手、いや、選手兼通訳という 大役もこなす羽目になった。が、そこでも大活躍。 (最後にはバフさんが日本語がかなり上達し、通訳不用となった感はあったがあえて突っ込まず) そんな彼だが、本当によかった!おめでとう! そして不幸な事。 鎌倉RSのコーチであり、NECラグビー部創部立ち上げ時に、スタッフとしてご尽力された方が 10/2の夜永眠された。須永コーチである。享年72歳。 僕のラグビースクール入学時が小学6年。当時から面倒を見て頂き、目黒高校、関東学院大学、 そしてNECと15年間僕のラグビー人生をいつも見守ってくれ、事あるごとに叱咤激励の言葉を かけて頂いた。病状を悪化させ、車椅子の生活を余儀なくされてからも、鎌倉RSへは毎回顔を 出され、また2年前の7月に、NECラグビー部OBと高麗大学(韓国)ラグビー部OBの交流試合 が我孫子グラウンドで行われた時も、神奈川より我孫子へわざわざ駆けつけてくれた。 その位ラグビーを心から愛しており、選手を常に尊敬しておられた。 そして、先日お通夜時の事。 受付には、「一般」と「ラグビー関係」の2つの窓口に分かれていた。 当然僕は「ラグビー関係」にて受付を行ったが、そちらの受付を済ませている方の 多いこと。そんな様相を見て、須永さんがラグビーで得た財産(=ラグビーの仲間、一生涯の 仲間、まさに「死ぬまで仲間」)は、とてつもなく偉大で素晴らしく、須永さんが生涯で得たラグビー仲間こそ人生の宝であったんだ、と痛烈に思った。 永眠された事は、本当に残念である。しかし、これだけのラグビー仲間に看取られたことを 天国で誇りに思っておられるだろう。 このような事を、ブログの記事にしてもよいものか最後まで迷ったが、須永さんが人生で築かれた財産、「仲間の素晴らしさ」を心から感じたので、書かせて頂いた。 最後に、須永さんの永眠につきましては、心よりご冥福をお祈りいたします。 |
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